吉川洋『ケインズ』(ちくま新書)

P43
「われわれが個人に金を貸すのは嫌がっても、銀行預金を保有するのは、個人の書く「借用証書」が到底決済手段にならないのに対して、銀行預金はそれ自体決済手段だからである。要するに19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスのみが「銀行」の立場にあり、それ以外の国は全て「個人」の立場にあった。」

 

P84
「われわれの住む社会、そして経済にとってインフレが重要な問題になるのは、現実の物価上昇は必ず不均等であり、そのプロセスで富と所得の不当な再配分が行われるからである。」

 

P87
ケインズはリスクが膨大な経済的無駄を発生させていると考えた。こうした無駄はいわば「人災」である。インフレもデフレも、金融政策の運営次第で避けることができる。」

 

P97
「要は、一般に二国の財・サービスに対する需要・供給条件が変われば、インフレ・デフレがなくても為替均衡レートは変わるのである。」

 

P102
「価格の動きが最も重要なデータであることはいうまでもない。しかし雇用水準、生産量、銀行が感じる需要の強さ、利子率、債権の新規発行量、流通現金、輸出入、為替レートなどすべて考慮されなければならない。要は金融政策の目標が価格の安定にあるということにつきる。」

 

P126
「古典派経済学によれば、価格はその財の生産に要した労働投入量によって決まる(労働価値説)。これに対して新古典派経済学は、全ての財・サービスの価格と生産体制が、需要と供給によって決まると考えた。」

 

P128
一般均衡の状態では効率的な資源配分が実現される。新古典派経済学は、一見無政府的にみえる資本主義経済において、資源が無数の用途に効率的に配分されていくメカニズムを詳細に分析した。このように市場メカニズムの「明るい側面」に光を当てる新古典派理論は、当然のことながらわれわれを予定調和的・楽観的経済観へと導く。そこでは政府の経済的役割が小さくなることは容易に想像できるだろう。」

■摩擦的失業
経済全体をみれば求職・求人の数は同じだが、一時的かつ必然的に発生する失業

■自発的失業
労働者が自ら進んで職探しをするための失業

 

P135
有効需要の原理」
生産を拡大させるのも縮小させるのもらそれは財・サービスに対する需要である。需要こそが資本主義経済のアクセルであり、ブレーキである。

 

P137
「消費性向」
→「消費の増分」÷「所得の増分」(一より小さい)

 

P150
資本の限界効率」(=期待収益率)
一台100万円の機械が年々15万円の利益を生み続けるならば、この機械の期待収益率は(年率)15%である。

 

P151
投資は「資本の限界効率」と利子率が等しくなる水準に決まる。こうして決まる投資量は、当然のことながら利子率が上昇すれば小さくなる。逆に利子率が下がれば大きくなる。

 

P152
「アニマル・スピリッツ」
行動せずにはいられないという内から込み上げる衝動

 

P157
「貯蓄は「明日の財」に対する需要、投資は「明日の財」の供給と考えれば、「明日の財」の相対価格(利子率)がその需要と供給を一致させるように決まるということになる。」

 

P158
ケインズはまず利子率が、「現在財」と「将来財」の相対価格、あるいは新古典派経済学者が好んで言ったように「忍耐に対する報酬」といったものではない事を力説する。そして利子率は、「貨幣」という「流動性」100%の資産を手放すことに対する報酬である、と主張した。」

 

P162
■総需要を増大させるための政策(2つ)
1.財政政策(政府支出・減税によるGNP増大)
2.中央銀行による金融政策(金利)

 

P181
マーシャルが主力を注いだのは、「風や波ではなく、潮の満干を律するような法則」つまり「経済の長期的な傾向に関する法則」であったのに対して、ケインズは「風や波」すなわち「短期の問題」を鋭く分析した。

 

P187
「価格の変化」はケインズ経済学のアキレス腱だった。『一般理論』においてケインズは名目価格、とりわけ賃金の硬直性を強調した。この点が、価格の役割を重視する新古典派の立場からは大きな不満として残っていたのである。