異形の王権 網野善彦

柿帷、簑笠→非人の服装(中世後期)
飛礫(つぶて)
=古代より行われる、悪党・悪僧的、非人的な武力(鎌倉末、南北朝期)
=原始以来の人類に普遍的な民俗・文化
=中世後期以降、権力に組織された武力に変化
→呪術性、神意性、英雄視、支配者が禁止することができない
@朝鮮半島、秀吉朝鮮出兵時に投石による抵抗
→現代では球技などのスポーツによって代位、解消


異形の人物→高足駄をはく

異形の王権
1.伊賀兼光
2.文観→異形の僧正
-「異類」律僧でありながら武勇、兵具を好む
-悪党・非人を利用する
-祈祷や呪術を駆使
3.後醍醐天皇→異形の天皇
-自ら真言密教の祈祷を行う→文観の影響
-商工民の重視、宋学の摂取

 
 

オーランドー ヴァージニア・ウルフ

1.ロシア王女と駆け落ち失敗

2.読書、詩作三昧、ニックグリーンを招待、家具の点検、ルーマニア皇女

3.トルコ生活、公爵拝受、暴動、昏睡、女性化、脱走、ジプシー生活、不和、別れ

4.ロンドンへ向かう船→ルーマニア皇女(実は男)に言い寄られる→社交界にうんざり→詩人ポープと出会う→娼婦と出会う

5.イギリスを湿気が襲う→結婚したくなる→荒野で郷士の男と婚約→森で結婚

6.詩の続きを書く→ロンドンへ行く→ニックグリーンに会う→

からだ・こころ・生命 木村敏


主観↔主体の違い
※どちらも認識や行為を行う個人の側の統一原理、個人の意識に内在

フッサール以降の現象学
間主観性」めいめいの主観/主体をひとつにまとめて客観性を保証

★生物一般に共通する原理、生物としての人間にも先天的に備わっている同種識別の原理が人間関係においても働いているはず
→私的間主観性
 ↕
公共的間主観性
→認識や行動の共通基盤、客観性の基礎

◼ヴァイツゼカー
主体(ズプイエクト)→生き物と環境世界との接触現象そのもの、有機体とその環境との「あいだ」の現象(当事者観点)

相即(コヘレンツ)→生き物がその生存を保持するために知覚と運動の両面を動員して環境世界との間で保っている接触(外部的観点)

心的≠主体的
人間以外の全ての生物にまで拡大して適用

個々の有機体と全ての有機体にとって共通の「生命一般」との境界において、主体性が主体を成立させている。

「境界」=主体それ自身の存在のこと

「AはAと非Aの境界あるいは区別である」
(アリストテレス論理学を破っている、反論理)

★同種複数個体の集団的主体性→「私的間主観性


ヴァイツゼカー「生命そのものは決して死なない。死ぬのは個々の生き物だけである」
→「生きている」というアクチュアリティの「非・不連続性」

実在(リアリティ)→認識が完了して事実として確認されたもの

「生きている」という現実(アクチュアリティ)→現在進行中の行為

「生きていること」と「生きているもの」を区別する
ハイデガー存在論的差異
「存在そのもの」と「存在者」を区別して呼ぶ

ノエシス→精神的な知覚作用としての「考える作用」
ノエマ→精神的に知覚されたもの、「考えられたもの」

「意識されたもの」だけに注目するのではなく、「意識するはたらき」それ自身をさらに意識する、一段高次の意識をはたらかせる

音楽の本質→音と音のあいだにある
「シ」→導音(「主音」である「ド」を導く音)

ハイデガー存在論的差異
「存在それ自体」と「存在者」との差異こそ「真の存在」だと考える

生き物に関して内部と外部を区別したり、外界からのインプットと有機体からのアウトプットを考えたりはできない
→生命現象は「閉鎖系」

オートポイエシス→生命の有機構成とは何か

ライプニッツの「モナド」→窓を持たない

二重性(身分、主体性)
・個別的な志向性
・集団的な志向性

個の生死を問題にするかぎり、「集団全体は死なない」

「~を生きる」という他動詞→生きるという行為の主体性を表現

ハイデガー
死とは「この上なく自己自身のものであり、他との関係を絶した、追い越し得ない可能性」

自負と偏見

・ベネット家
夫婦
Mr.ベネット
Mrs.ベネット
-ガーディナー(弟)
姉妹
-ジェーン
-エリザベス
-メアリー
-キャサリン
-リディア
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ウィリアム・コリンズ(甥)→エリザベス(失敗)→シャーロット
---
士官
-ウィカム

Mr.ビングリー(兄)→ミス・ダーシー?
ミス・ビングリー(妹)→Mr.ダーシー
Mrs.ハースト(姉)
Mr.ハースト(弟)
Mr.ダーシー→エリザベス
ミス・ダーシー(ジョージアナ)
フィッツウィリアム大佐
---
キャサリン夫人(曲者)

------あらすじ------


コリンズ、エリザベスに求婚、断られる

エリザベスとダーシー再会、ダーシーを見直す

リディア、ウィカムと駆け落ち

日馬富士暴行事件

登場人物を学校のいじめ問題に置き換えると分かりやすい。

貴ノ岩→いじめられてケガさせられた生徒

貴乃花親方→いじめられた生徒の親

日馬富士→いじめてケガさせた生徒(優等生)

相撲協会→学校の校長を始めとする先生方

いじめられた生徒の親としては、学校に報告したところで隠蔽されて、ウヤムヤにされるのが分かりきってるから直接警察に届けた。

学校側としては、事を大きくしたくないし、いじめた生徒(優等生)の処分も出来るだけ軽くして穏便に済ませたい。

組織ぐるみで不祥事を隠蔽するという構図は日本の至るところで見られると思う。

ランニング近況

ブログの更新は滞っていましたが、ランニングは継続しておりました。

最近のイベント

・5キロコース → 6キロコースに変更

・市のランニングイベントに参加

・ランニングの本を読んで、走り方を改造

毎回同じコースを走っていると飽きてくるし、新鮮味にも欠けるので6キロコースに変更。

 

11/5に市のランニングイベントがあって参加してきたのだが、意外とこれが良かった。

町の中の自然を感じながらプロのランナーと一緒に走る、という最近のランニングブームを支援するような趣旨と思われる。

なるほどな、と思ったのは下記の2点。

1.ランニング前後に体幹トレーニング行うべし

→筋力をつけるためではなく、「これからここの筋肉使って走るんだよ」という指令をカラダに送るのが目的。

2.ランニングのダメージから体を守るべし

→ランニングは体に良いと思われがちだが、ランニングという運動が体に及ぼすダメージを軽視してはいけない。走る前は勿論、走った後に入念にストレッチを行うことにより、体をケアすることが大事。

 

ブッコフでこの本を買って読んでみた。

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/416nk6ka7sL._SL75_.jpg

ランニングで大事なのは「丹田」「肩甲骨」「骨盤」の3つ。

腕を振る時にただ振るのではなく、肩甲骨を引くような感じで腕を振る。

そうすると、その反動が骨盤に伝わる。

足で走るのではなく、「肩甲骨」→「骨盤」→「足」の順番で力が伝わることにより、体が前に進んでいくようなイメージ。

実際、これを意識して走ってみたらタイムが短縮したのでビックリした。